「いのちの壱」の発見と誕生

 2000年秋の昼下がり、私は、稲の生育を確認するために、いつものようにコシヒカリの田んぼの見回りをしていました。そこに、とびぬけて背の高い変わった稲がありました。まるで、その稲がオーラを出しているかのように、私は、引き寄せられました。その稲をよく見ると背はコシヒカリより15㎝ほど高く、籾(もみ)はとても大きく、茎は太くてたくましい姿でした。しかも不思議なことに並んだ二株から同じ変わり稲が出ていました。私が「いのちの壱」と命名した新品種の稲の発見です。

 

 私は新品種だとは思わずに、(なぜ酒米の「ひだほまれ」の種が混じったのだろう)と考えました。でも当時農林水産省で稲の仕事に携わっていた私は、直感的に違うのではないかと思ったのです。当時、そう思わなければ今、日本にいのちの壱(龍の瞳)は存在していないことになります。

 

 翌、2001年に5坪ぐらいで試験栽培を始めました。まるで葦と見紛うような立派な茎、大粒の籾に私はすっかりと魅了されました。「ひだほまれ」とは違うと確信したのです。

 

 ほんの僅かでしたが、試しに炊いてみました。炊飯器から、ポッポと立つ湯気は瞬く間に部屋中に芳しい香りを充満させました。釜の蓋を開けて混ぜると、おかまに付着したのりが薄紙のごとく固まりました。粒の大きさは極まり、しかもつやつやた光輝いていました。

 

 ご飯を一口食べました。私はあの時の感動を今でもはっきりと覚えています。甘さ、粘り、噛み応え、この世の食べ物とは思えませんでした。私が、新品種であると確信した一瞬でもありました。

 

 2002年には2aで試験栽培を行い、品種登録に向けて準備をしました。いのちの壱(「龍の瞳」)は、遺伝子操作や、人工交配等の人為的行為をせずに誕生した稲です。まさに、天と地からの授かりものでした。コシヒカリの中から見つけたのにも関わらず、その遺伝子がほとんど見られないからです。
 天を飛ぶ龍が、種を落としてくれたのだ、私に種を託されたのだと思います。

 

                     いのちの壱発見者      今井 隆

 

 

 

龍の瞳公式ホームページ

  ショップサイト https://www.ryunohitomi.jp
コーポレートサイト 
http://www.ryunohitomi.co.jp